僕は 去年の8月から、ロータリー財団のお陰で、アメリカのイリノイ州立大学から、日本で一年間の留学を 楽しんでいます。本日は、この留学の感想をお話させて頂きたいと思います。もし、ご質問等 ございましたら、どうぞ 途中でもご遠慮なく なさってください。僕の一年 ヤを わかりやすくするために、これを5つの期間に 分けてみました。この短い期間にも、やはり 様々な感情を持ちました。それぞれの時期に、それぞれの気持ちや、目標や、活動があり、それらを ことわざに まとめてみました。
まずは 日本に留学に来た動機についてお話したいと思います。実は 僕が 日本に来たのは これが初めてではありません。 4年ほど前に 一度 日本に参りまして、一ヶ月半のホームステイをしました。その頃はまだ、日本語や日本のことが、全然 わかりませんでしたが、友達が英 語で 話してくれて、そうしているうちに だんだん 日本語がわかるようになりました。その いい経験を そのまま 向こうに 持って帰り、大学に入ってからは、日本語や、日本史や、日本文化などの 授業を 受けはじめました。 僕は、商学部で会計の専攻をする傍ら、趣味として、 総ロ企業についても勉強しています。
この 奨学金の面接の時に、僕は留学の目的をはっきりと 答えました。国際 交流のために 友達をたくさん作ること。そのために まず、日本語を自在に使いこなすこと。“不思議な”日本企業について 研究すること。さらには、自分の考え方を 広めるために、今までとは 違った生活を過ごしてみたいということです。
期待に胸を膨らませて、僕は8月22日に 日本に 到着しました。そして、「郷にいれば郷に従え。」という 言葉の通り、日本の 生活に没頭しました。 最初は、日本語が分かったら 何でもできると思ったので、一生懸命 授業に出たり、宿題をきちんと出したりしていました。 そ れから すぐに、歩こう会という 山登りサークルと、バトミントン同好会に入りました。そして、友達とよく 日本語を話すことで、自分の出身地、専攻、年齢などの、自己紹介的な答えが、詳しく上手に言えるようになりました。 しかし、早口の友達の言うことや、ニュースやクイ Y番組が、半分も 理解できませんでした。もちろん新聞も 読めませんでしたが、一生懸命勉強すれば わかるようになるだろうと 思っていました。
しかし、三ヶ月ほど 経っても、ほとんど 日本語の上達しない自分に 苛立ちを感じ、途中で日本語の勉強が いやになりました。僕の決意は まさに、「三日坊主」だったというわけです。もちろん 大学の友人の おかげで、もっと 自然な日本語が 話せるようになりましたが、サ ークルの友人たちは、僕にとって本当の友達とまでは 言えません。ただ、外国人やアメリカ人の 見解が欲しい時に、“美店、アメリカはどう? 大学入試 あるの?”などと聞かれます。
新聞が読めないのは 仕方ありませんが、花や動物、食べ物や 都道府県や 芸能人のことになると、単語すら わからない時が あります。 何年間も言葉を勉強してきても、わからないことが まだまだ たくさん 残っています。それが いやで、11月や12月の頃には そんなに べん ォょうしませんでした。と いうよりは むしろ、大学の 勉強よりも、友達とカラオケに行ったり、NHKの ドキュメンタリーを 見たりする方が よい勉強になると思ったからです。机に向かって 本を 暗記するばかりが、大学生の勉強では ありません。
冬休みには、アメリカから両親が来て、一緒に箱根や京都、広島、宮島といったところに 行ってまいりました。3人でリュックサックを持って、いろいろなところに 行き、何の問題もなく 楽しい時間を過ごすことができました。ぼくは、彼らの ツアーガイドとして 大いに貢献 オ、両親も、息子の成長をとても喜んでいました。“亜論がすごい!”などと 言われ、少しだけ 日本が分かるようになったかな、と 思っているうちに 冬学期が 始まりました。
早稲田大学の国際部というところは、一般の学部とは少し違って 変なところです。アメリカやヨーロッパにならって、そこでは1年が9月に始まります。そして、1ヶ月の冬休みの後には一月半の冬学期があります。この 制度は、留学生にとって 便利だし、英語で授業をしてもら ヲるのも 都合がよいと、最初の頃は 思っていました。しかし、そうした授業は本当の意味で よい勉強にはなりません。外国人ばかりに囲まれて、基本的な日本文化の授業などを毎日繰り返しているとすぐに 飽きてしまいました。
すでに アメリカで 日本についていろいろな勉強をしていたので、日本に来るからには、日本の学生とともに、もっと 深いことを勉強したいと思っていました。しかし 早稲田の授業で学んだものは、いつも 言われる、年功序列制度、本音と建前、農耕文化などの、何度も聞いた 基礎的な理論でした。こうした理論もたまには おもしろいですが、多くは僕の目にした事実とは少し違います。僕はもっと、現実的で実践的なことを勉強したいです。たとえば日本人は、自然が好きだとよく言われますが、あまり資源を再利用をしていませんね。富士山の山道のあち らこちらに ごみが捨てられています。花見に行っても 花を 見ずに、ただの 飲み会になってしまうのは どうしてか、僕はとても興味があるのですが、日本の先生は だれ一人 教えてくれません。 また、我々 日本人は 他の国のサラリーマンに比べ、残業時間も長く、長時間働き、 勤勉な国民だと言われています。しかしそれは、見方を変えれば 他の先進諸国の 労働者は 短時間に集中して仕事をするこで時間を有効に活用し、質の高い生活を過ごしているとは考えられませんか?こんなことを考えながら、このあたりで 少し、肩の力を抜いてもいいと思い、「 スの洗濯」の 期間に入りました。
2月が 明けてから、アメリカの友達と一緒に 旅に出るチャンスがあって、少し日本の生活を休んでもいいと思いました。3月から韓国、タイ、ネパールの三カ国の長期旅行に行きました。韓国で韓国の知り合いと久しぶりに会ったり板門店に行ったりいろいろ関心しました。タイ フ海岸で遊んだりロッククライミングやハイキングしまして最後の日に僕の荷物が全部盗まれてしまいました。ありがたいことは現金、航空券、パスポートなどの重要な物は大丈夫でした。すぎたことはしかたがないと思って友達の荷物まだあるしネパールに行ってもいいじゃないです か。
ネーパルに着いてから急いで洋服やトレキングブツを買って二人でエバレスト山の方に登ることになりました。10日間くらいネパールの道路がない田舎をずっと歩き行きました。ネパール語を少しい覚えて夜、安いホテル何かに泊まるときに田舎の人とよく喋りました。観光事業 フ他は農業や素的な服を作る仕事しかないみたいです。人間これだけで満足できるのかと人生の意義をよく考えさせられました。もしかするとネパールの人々は日本人と同じように週に50時間くらい働いているかもしれません。でも彼らは携帯電話も電子レンジも車も持たずに生活水 準が決して高いとは言えません。ただ家や食べ物があり友人がいることに心の底から満足しているのです。それなら何のために僕らは一所懸命勉強したり仕事したりするのかと困惑してしまいました。
一ヶ月半ぶりに東京に帰ってきてとびくりしました。まず、ソウル、バンコク、カトマンズから見れば東京はとてもきれいです。空気も吸いやすいし車もすべて真新しいですね。でも東京で暮らすのは大変です。いろいろなルールを守らなくてはいけません。「駆け込み乗車はお ~め下さい。」「携帯電話のスイッチを切って下さい。」「小便器をきれいにご協力お願いします。」日本は注意が多い国ですね。
特にネパールと比べると日本人は非常にお金持ちけれど生活にゆとりがありません。どちらがいいのか直接に言えません。「十人十色」という表現はこの期間の考え方にぴったりあてはまると思います。いろいろなひとがいればいろいろなやり方存在します。日本人には日本食が います。ヒマラヤに住んでいるシルパ民族はその標高に慣れています。人それぞれの出身地はその人にとってやはり一番住みやすいところだと思います。
しかし、どこでも行っても個人的に人の性格はそんなに変わるものではありません。神経質な人、派手な人、よく頑張っている人、何も考えていない人などがどこにでもいます。だから、たまに日本の上下関係、本音と建前、飲みすぎなどの問題があまり好きでなくなる時があり ワすが、やはり日本でも同じような興味や考え方を持っているひとがいるので東京でも何とか生きていけます。
そんなこんなでここまでやってきましたが実際の僕は友達と遊んだり夜中、電話や友人のアパートで国際問題や人生や日本について、いろいろ喋ったりしてきて本当は留学生活を楽しんでいます。あと3週間で国際部の授業が終わりますのでそろそろ帰るべきですね。けれど帰った ら友達は皆もう卒業しましたので大学一年間残っている僕は九月の新学期まで一人でアルバイトするのはしかありません。アルバイトするのなら向こうより日本の方は時給がいいです。しかも東京で仕事したらもっと日本語の勉強しながら少しお金を溜めることになって、「一石二鳥 vです。これは最後までの留学標語です。一応東京で暮らしながら20代の自由な生活を楽しみます。
結局、普通のコンビニのアルバイトをすることになってしまいました。けれど僕の留学はそんなもんです。かなりありきたりの生活をやっているように感じます。別にすごい発見はありませんでした。日本語、日本企業や自分の人生についていろいろ勉強にてかなりいい経験だと思 うけれどいさいこのスピーチを書こうと思った時に何か印象的でか何がめずらしいかうまく思い出せませんでした。普通の生活と同じようにいいところと悪いところがありました。でもこの機会があったのは非常にありがたいことです。できれば各どからながめた方がいいと思います フでこの一年間、日本の諺通りにいろいろいい勉強になりました。以上。